新しい考え方を学んで、ものの見方を切り替える。いわゆる「パラダイムシフト」。本を読み、研修を受け、「これからは、こう見よう」と、視点を入れ替える。
これも、見え方を変える試みです。では、対話と、何が違うのか。じつは、変わる深さが、違います。
新しい考え方に「切り替える」
パラダイムシフトは、古い考え方を手放して、新しい考え方を取り入れることです。「指示する側から、支える側へ」「結果を見る目から、過程を見る目へ」「できない理由から、できる方法へ」。
新しい地図を受け取り、その地図で、世界を見直す。これは、たしかに力を持ちます。物事が、それまでとは違って見え、行動も変わる。停滞していた人や組織が、新しい枠組みを得て、動き出すことは、よくあります。
でも、それは「水槽を、乗り換える」こと
ただ、ここで、立ち止まってみます。
新しい考え方も、よく見ると、ひとつの「枠」です。世界をこう捉えよう、という、決まった見方。古い枠から、新しい枠へ——たとえるなら、古い水槽Aから、新しい水槽Bへ、移ったようなものです。
水槽Bのほうが、広いかもしれない。泳ぎやすいかもしれない。でも、どちらも、水槽です。水槽の中にいる、ということ自体は、変わっていない。 新しい枠の中で、新しい泳ぎ方を覚えた。けれど、枠の外に、広い海があることには、まだ、気づいていない。
そして、枠を乗り換えただけだと、忙しくなったり、追い込まれたりすると、また元の枠に、すっと戻ってしまうことがあります。「成長を見る目で」と切り替えたはずが、余裕がなくなると、また「結果を見る目」に戻る。新しい地図は、覚えているのに、です。
対話が向かうのは、水槽の、外
対話で起きるのは、水槽Aから水槽Bへの乗り換えではありません。その水槽の外に、海があったと、気づくことです。
「これが、ものの見方というものだ」と、疑いもなく前提していた、その枠 自体が——ひとつの水槽にすぎなかったと、見えてくる。新しい枠を渡されるのではなく、枠というものの外側に、出る。これは、考え方を切り替えることとは、別のことが、起きています。
なぜ、対話だと、それが起きるのか
理由は、シンプルです。
新しい考え方は、教わることができます。だから、パラダイムシフトは、本でも研修でも、伝えられる。けれど、「自分が、いま、水槽の中にいる」ということは、教わっても、その水槽の中の知識として、受け取られるだけです。「あなたは枠に囚われている」と言われても、その指摘自体を、いまの枠の中で、解釈してしまう。
水槽そのものに気づくには、外の見え方と、生きて触れ合うしかありません。対話の中で、自分とは違う見え方に触れ、そのやりとりの只中で、ふと、水槽の外の広さ(海)を、体で感じる。教わるのではなく、体感する。そのとき初めて、「ああ、自分は水槽の中にいたのか」と、枠そのものが、ほどけます。
だから、対話なのです。好みでも、流儀でもなく、枠の外に出るには、外と触れ合うしか、構造的に道がないからです。
「切り替え」と「組み変わり」
最後に、二つを、並べておきます。
パラダイムシフトは、考えの中身を、切り替えます。古い考えの上に、新しい考えが乗る。中身が入れ替わるので、力強い変化に見えます。けれど、入れ替えた中身は、状況しだいで、また入れ替わる。だから、揺り戻しが起きやすい。
対話で起きるのは、考えの中身ではなく、見え方そのものが、組み変わることです。一度、水槽の外の海を見た魚は、もう、水を「当たり前のすべて」とは思えなくなる。だから、その変化は、忙しさや状況に、簡単には流されない。覚えたことは忘れても、見えるようになったことは、もう、見えなくはならないのです。
新しい考え方を持つことと、見え方そのものが変わること。この二つは、似ているようで、まるで違う深さの出来事だ——そう言えると思います。